「二月三日か四日、立春の前日」災いを除き福を招く 本来は「せちぶん」と読み立春、立夏、立秋、立冬の事で季節が分かれると言う意味です。夕暮れに柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立て「鬼打豆」と称して、炒った大豆を撒く行事を「節分会」という。節分会は新春を迎えるにあたって除災招福を願う行事で唐から伝わった「追儺」(鬼払い)の儀式と、日本古来の「豆打ち」行事が結び付いたものです。 追儺の儀式は最初、宮中で取り入れられ十二月の晦日、宮人が黒鬼、赤鬼に扮装し、子供が弓と矢で鬼を打って追い払う。大晦日に行われたのは、日本古来の「大祓」と結びついた為で鎌倉時代末期頃まで大晦日に行われていた。今では修正会の鬼払い行事として残っているのは、長谷寺の追儺会は「ただ押し」と呼ばれ一般に親しまれている。追儺と豆まきが次第に結びつけられ節分の夜、神社、寺院で追儺を行う様になった為一般家庭にも普及した。 節分会としてもっとも賑わいをもせるのは、千葉県の成田山新勝寺です。 各界有名人の年男、年女が麻の裃をつけ「福は内」と繰り返しながら参詣者に豆を撒く。成田山では、不動明王の慈悲の前には鬼も鬼でなくなるので「鬼は外」とは言わないのだそうです。