現代は、高齢化社会であり、その大部分を65歳以上の高齢者で覆い尽くそうとしています。しかし、高齢者の皆さんも「死」そのものを遠ざけて、生きている。
私は、まだまだ「死」とは無関係・まだまだ遠い先の話と、できるだけ「死」そのものを考えずに拒絶し、タブーとしている人達の観が非常に強く感じ取れます。
ところが、そう云った人達のほとんどが現実に遭遇した交通事故や病気に見舞われない限り、皆同じ様な運命を辿って、多少病気を患っても現代の医学で対処して長生きできると思っている様です。
自分自身もしくは、身近な人が死と直面して初めて「死」を真剣に捉えて、絶望感に似た悲しみや喪失感を持ち、どうしたら良いのかと判断もつかない状態に陥る人達が多いような中で、一人々が持つ運命を考えまた、一人々違う命だからこそ人生と思い、今を大切に精一杯生きる喜びをお持ちいただきたい。
度重なる内紛やテロで怖くありませんかと、以前私の友人であるトルコ人に聞いたことがあります。
その友人は、怖くないと言ったら嘘になりますが、トルコ人のほとんどはいつ死んでも、その覚悟は出来ています。
そう思って、今を大切に精一杯生きるから、どんなに辛くても楽しく過ごすんですよ。と言った言葉に大変感動した覚えがあります。
この様な、一日々を「死」をも覚悟した思いは、戦後平和な日本の人達にはまず無いでしょう。
でも、最近の日本に忍び寄る、脅威(犯罪・事故・病・不況)によっては、いつ災いが自分自身に降りかかるやもわかりません。
その様な時に、右往左往することの無いように「死」と言うものへの考察を心の片隅に置かれてみてはどうでしょうか。
「生きとし生けるもの」全てが誕生とともに死の階段を登って行く運命にありますが、死そのものがゴールなのかまた、新しく命を授かるスタートなのか現世にいる誰もその答えを明確に言える者はいません。願わくば、かけがえの無い人生の終焉がこの現世で燃え尽き完全燃焼した痕跡を残して、次の復活での輝かしいスタートであることを願うばかりです。(合掌)