ツバキは「日本書紀」に於いて、その記録が残されている。景行天皇が九州で起こった
熊襲の乱を鎮めたおり、土蜘蛛に対して「海石榴(ツバキ)の椎」を用いた。
其れはツバキの材質の強さに因んだ逸話とされおり、正倉院に収められている災いを
払う卯杖もその材質に海石榴が用いられているとされている。733年の「出雲風土記」
には海榴・海石榴・椿という文字が見受けられる。しかし、これが現在のツバキと同一
の物であるかは議論の余地があると言われている。「万葉集」に於いてツバキが使用
されている歌は9首あると言う。サクラ・ウメといった材料的な題材と比較すると数は
多くない。「源氏物語」に於いても「つばいもち」として名が残されている程度であり
室町時代までさほど芸術の題材として注目された存在ではなかった。しかし、風雅を
好む足利義政の代になると、明から椿推朱盆・椿尾長鳥推朱盆・といった工芸品を数多
く取り寄せ、彫漆・螺細の材料としてツバキが散見されるようになった。
また、豊臣秀吉は茶の湯にツバキを好んで用い茶道においてツバキは重要な地位を占め
るようになった。